今ならわかる「聡明な頭」という言葉

随分昔の話しになるけど、今の会社にパートとして働き始めた頃、私より年上の社員の先輩がいた。

いつも明るく元気な人で、右も左も分からない自分を随分と気長に育ててくれた。

後輩の育成はほんと上手な人だった。

私は彼女の手のひらでコロコロと転がされて育ったと思う。

彼女は人に仕事をさせる天才。

「み」あれどやった?「み」あれやってくれる?

「み」「み」「み」…

「み」とは私のあだ名的な言葉、苗字の頭を取って「み」何て簡素化されたあだ名だろう。

今では付箋の最後の宛名は「○み」で誰もが理解している。

彼女が年下の私に、面倒だったり、ややこしかったりする仕事を頼んでくる時はいつも

「み の聡明な頭でやって!」ってよく言われた。

そんな時はいつも聡明な頭って何や!

また面倒くさい仕事やんか!って思ってた。

でも今の年齢になって凄く分かる。

この年齢になると考え事や集中しようとしても、言葉に表すのは難しいけど、脳内に霧がかかってるような

、スッキリしていないと言うか…

「聡明な頭」=澄み渡った空 

今ならほんとによくわかる。

そんな先輩がいたから少しずつ成長でき、今の自分がいる。